1953年(昭和28年)に乗車した急行「筑紫」号の思い出

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(上の写真は【無料】年賀状素材「写真AC」の写真を使用していますが、1953年(昭和28年)頃の写真ではないと思います。)


人間は、逝く間際には昔のことが脳裏に蘇えるのか? 昔のことが無意識ののうちに口から出てきて驚いたことが何度もありました。

私も後期高齢者のメンバーの一員として君臨していますが、最近は、子供の頃のことを思い出されることが多くなりました。 お迎えの籠が近づいて来ているのでしょうか?

ところで、昨日(2016年12月28日)、突然のことですが、小学6年の時の出来事が脳味噌のスクリーンに映し出されましたので、忘れないうちにメモしておくことにしました。

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小学6年の時、急行「筑紫」号で東京への一人旅をしました

小学6年と言えば、1953年(昭和28年)だったと思います。(あの頃は、満年齢数え年の2通りが使われており、8歳で小学校の入学でしたが、満年齢の8歳か、数え年の8歳かは忘れてしまいました。)

小学6年と言えば、今では形だけは大人顔負けですが、あの当時、山口県から東京までの一人旅は珍しかったと思います。

柳井駅から品川駅まで、急行の筑紫号で約19時間

小学6年の夏休みの事でしたが、オフクロが用事で東京へ出掛け、オヤジと留守番をしていたのですが、夏休みの終わりころになっても帰ってこれないので、夏休みが終わる1週間前に、私一人で東京へ行ってこいとのことになりました。

認知症予備軍気味になった今でも脳裏に焼き付いて消えませんが、山口県の柳井駅から東京の品川駅までの一人旅。

乗車した列車は、柳井駅を12時30分頃に発車し、品川駅に翌朝の7時5分頃に到着する急行筑紫

あの当時は、柳井駅は蒸気機関車の付け替え駅だったので停車時間は長くて10分以上はあったと思います。

列車が到着したらオヤジが先に乗り込み、席を取ってくれて降りてしまいました。

柳井駅から品川駅までの所要時間約19時間

4人掛けの席のうち3人は男性。3人のうち1人は高校生だったと思いますが、品川駅へ到着するまで親切にして頂きました。
途中、京都の近くを通過する時は、大文字焼の説明をしてもらったことを覚えています。

親切にしてもらったものの、首からぶら下げた僅かばかりの小遣いが入った巾着袋は、品川へ到着するまで手で押さえていました。

品川駅へ到着したら列車から降りてホームで待つようにとのことだったので下車。
ホームの向こうの方から親戚の者が迎えに来た姿が見えましたのでホッとしましたね。

急行筑紫についてはインターネットで調べてみましたので、この記事の下の方へ書いておきます。

東京駅から柳井駅まで、鈍行で約30時間

9月に入り、2学期になってもオフクロの都合がつかないので1週間ほど授業を休み、その後、東京から帰ることになりました。

帰りは、東京駅から柳井駅まで。

何しろ貧乏生活だったので、帰りは鈍行列車に乗りました。

東京駅を昼の12時に発車する鹿児島行き普通列車
柳井駅には翌日の夕方17時30分頃に到着したと記憶しています。

東京駅から柳井駅までの所要時間約30時間弱

箱を壊した板を持って乗り、4人掛けの席に橋渡しにして、足を延ばしたり、夜は寝たりしていましたよ。

柳井駅のホームへ降り立った時は、歩くのもフラフラしていました。

そういえば、途中の駅では、30分近くも停車していたこともあったような記憶があります。
停車時間が長い駅では、ホームへ降りてみたいと思いましたが、乗り損なったら帰ることが出来ないので我慢していました。

ここ何年間かは、岩国錦帯橋空港~羽田空港の間を飛行機で往復していますが、あの頃には、飛行機で往復するようになるとは、夢にも見ることはありませんでした。

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急行「筑紫」号について調べてみました

何処かに、1953年(昭和28年)頃の急行筑紫についてのデータが公開されていないかと、Google検索で探してみました。

Googleの書籍検索で「さよなら急行列車」が見つかりました

急行 筑紫 昭和29年」のキーワードでGoogleの書籍検索を行なって、一番上位に現れた「さよなら急行列車 – 89 ページ」を開いたら

さよなら急行列車
2016年3月のダイヤ改正は北海道新幹線・新青森―新函館北斗間開通という明るい話題を提供しているが、この改正の陰で新幹線が通るようになる青函トンネルを通過する急行「はまなす」が廃止となる。これによりJR線上からは定期の急行列車がすべて姿を消し、132年の歴史に幕を閉じる。本書ではこれまで活躍してきた歴代の急行列車に焦点...

この書籍は、

さよなら 急行列車
Good-bye EXPRESS Train
波瀾と栄光の122年

著者 寺本 光照
発行所 JTBパブリッシング
    http://www.jtbpublishing.com

「さよなら急行列車」を購入することにして・・・

電子書籍を購入 – \1,439」と書いてあったので、購入しようと思って、「この書籍の印刷版を購入▼」を開いて、「JTBパブリッシング」「Amazon.co.jp」「紀伊国屋書店 BookWeb」「楽天ブックス」「セブンネットショッピング」の全てのサイトを順に開いてみたが、見当たりません。

続いて、「所蔵図書館を検索」を開いてみましたが、「ページが見つかりません。」と、あっけない返事。

さらに、「すべての販売店」を開いたら、

新たに「Google Play」と書かれた行が現れ、その右の「価格」の欄に「\1,439」と書かれていたので、「Google Play」をクリックしてみました。

さよなら急行列車 - Books on Google Play
2016年3月のダイヤ改正は北海道新幹線・新青森―新函館北斗間開通という明るい話題を提供しているが、この改正の陰で新幹線が通るようになる青函トンネルを通過する急行「はまなす」が廃止となる。これによりJR線上からは定期の急行列車がすべて姿を消し、132年の歴史に幕を閉じる。本書ではこれまで活躍してきた歴代の急行列車に焦点...

上記のページが開いたので、「\ 1,439で購入」のボタンを押してみたら、

購入画面が開きました。

ここで、試しに「クレジット カードかデビットカードを追加」をクリックしたら、「お支払い方法」の画面が開きました。

しかし、「Google Play」なるものは、スーパーのレジの近くに吊り下げられていて、「プリペイドカード」と書かれているのですが、素性が判らないし、このまま購入手続きをしても、パソコンに対応しているのか否かも不明なため、ここで中止しました。

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1953年(昭和28年)の8月終わりに乗車した急行「筑紫」号について

先ほど開いた「さよなら急行列車」のページをスクロールしたら、90 ページに、下記のことが書かれていましたので引用させてもらいます。

「表-12 急行列車運転一覧・戦後(3)」1953(昭和28)/8/1現行

急行 筑紫
鹿児島 23:30 – 東京 07:23

品川駅のホームに降り立ったのは7時05分頃だったと記憶していますので、この列車に乗ったのは間違いないようです。

この列車が掲載された時刻表があれば、帰りの鈍行列車の様子も判るとおもいますが、博物館ものでしょうね。

この記事を書いた後に思い出したこと・・・2017/03/02追記

高校の修学旅行ですから1958年(昭和33年)のことになりますが、おぼろげながら思い出したことを追記しておきます。

修学旅行の行き先は東京方面でしたが、山口県から乗った列車は、急行の「筑紫」号でした。

下車したのは熱海駅。
熱海駅に到着したのは早朝。
旅館で朝食をとり休憩後、鎌倉などを観光しながら東京までバスで移動しました。

今も記憶に残っているのは、鎌倉の大仏を見たことと、東京での宿泊は後楽園球場の近くだったことくらいです。

もう一つ。
急行「筑紫」号では、席が不足していて、交替でデッキに腰掛けていたことを覚えています。

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