東海道線を跨ぐ橋~国道21号線の交差点まで
東海道線を越したら国道21号線の交差点。
車が止まっている向こう側の横断歩道の左にタバコ屋さんがありましたよね。
国道21号線に抜ける斜めの道路。
この空き地には店の名前は忘れましたが、お好み焼き屋さんがありました。
1回目の転勤のときは斜めの道路の途中に社宅がありましたので、このお好み焼き屋さんのオヤジさんとも話をしたりしていましたよ。
お好み焼き屋さんから少し入ったら美容室がありました。これも名前を忘れました。
脳味噌が固まっているようですね。
向こうから車が進入。車の右側あたりが社宅でした。
この斜めの道路は向こう側からの一方通行。私は手前側から入りますので、垂井警察署で通行許可証をもらって車に載せていました。
4年半住んだ社宅があった場所の周辺。
社宅の隣は(株)服部精工でした。
車が駐車している所は畑だったと思います。
社宅のあった所を見てから引き返しました。
この斜めの道路には思い出があります。
1回目の転勤は1977年~1982年。昭和では[西暦-1925]ですから昭和52年~57年です。
雪が一冬に1回くらいしか降らない山口県から家族全員が引っ越した12月の引越しの翌日は伊吹降しがピューピュー吹きながらの降雪。
息子どもは学校と幼稚園へ。毛糸の手袋は雪が付着して凍ってしまいパリパリ。
雪支度をしていないので慌てましたよ。
その後は次第に雪にも慣れましたが、昭和56年の56豪雪には驚きました。
雪が降ったら朝一番に通学や生活のための雪かき(通り道づくり)。
会社から帰ったら朝作った通り道が雪でつぶれているため再び雪かき(通り道づくり)。
56豪雪の時は昼夜を問わず降り続き、この斜めの道路も雪かきした雪が背の高さくらいまで積まれて道幅もせまくなり歩くのがやっとこさ。
斜めの道路から社宅へ入る道は、人の足がなんとか通れるくらいの幅しかなくなりました。
こんな状態ではガス屋さんの車も入ってこれませんし、生活もままならない。
この斜めの道路は会社の従業員の通勤道路でもあり、皆が困っているため一念奮起。
会社のエンジン付きの除雪機を借りて、斜めの道路と社宅へ入る道の除雪をすることにしました。
会社の退社時刻を待って除雪機のエンジン始動。
会社から斜めの道までは除雪された雪がうず高く積み上げられた国道21号線を走らせて斜めの道路へ。
この斜めの道路と社宅への道を3往復くらいしたと思います。
夕方17時から始めて、終わったのは21時。
翌日は近所の地元の方々からも喜ばれました。が・・・ただ一つ残念だったのは、「町役場の人が夜遅くまでやってくれたんだよね」と話していたことです。
伊吹寮の駐車場です。
この駐車場は、子供会の廃品回収品を集める場所として使わしてもらっていました。
2回目の後は愛媛県の松山の工場へ転勤になりましたが、垂井の工場への出張の時は伊吹寮へ宿泊していました。