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東海道線を跨ぐ橋の上から
関ケ原方面。
岐阜方面。
垂井駅が見えます。
私が最初に垂井へ行ったのは、昭和30年代の後半。垂井の町に一つ目の工場が出来て間もなく、出張で行きました。
行く前に聞いた話は今でも覚えていますが、「垂井は、東海道線の上り線と下り線が離れた所を走っていて、駅が2つある。間違えて下車したら工場へは行けない」とのこと。
この説明は少し間違っていましたが、上り線と、下り線がある垂井駅と、下り線だけの新垂井駅の2つがありましたよね。
垂井駅から関ケ原駅までは急勾配の上り坂のために勾配の緩やかな下り線を作ったらしく、荒尾信号所から関ケ原の間は、新垂井駅経由の下り専用線が東海道線。垂井駅経由の下り線は垂井線と垂井駅のホームに表示がありましたが今もありますか?
「関ケ原へ坂を上るのが下り線。関ケ原から坂を下るのが上り線」。上ったり下ったりで迷う垂井の駅でした。
【休憩】
途中ですが、ここで皆様に、垂井町を写真で紹介されているサイトをご紹介します。
スミッピの部屋へようこそ!
懐かしい垂井の町、また、その周辺の写真など。サイトの写真も少しずつ増えてきていますね。
池田山も登りました。徳山ダムも昭和50年代前半に行きました。
垂井曳山祭(山=車へんに山です)・・・旧垂井駅の売店で買って帰った3台の曳山のミニチュアのセットを部屋に飾っていますよ。
(度々見せてもらっています。連絡の取りようがないため、勝手にリンクさせてもらいました。)
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